皆さま、毎日ご苦労さまです。
本稿は、現代のストレス社会にとって、無くてはならない「癒やし」について、なぜ、人は癒されたいと願うのか?その背景は?などを解説したいと思います。
キーワードは、「ありのままの自分に!」です。
本稿では、上記の「2」について紹介しています。
「癒されたい」と思ってしまう社会背景
日本において、「癒し」という言葉は、1990年代から日常的に使われ出したといわれています。
当時、日本中で「癒し系アイドル」「癒し系ソング」などの言葉が流行っていました。
特に、癒し系アイドルには、「ゆったり」「ほんわか」「ほんのり」といった母親に包み込まれるような要素を求める傾向がありました。
1990年代といえば、バブルがはじけ、経済が悪化し始めた時期で、就職氷河期に突入し、リストラや早期退職が多くなった時期です。
このような環境の中で、将来への不安をもつ人々は、心の落ち着きを求める(癒されたいと願う)ようになり、それが「癒し」という言葉の流行へと発展しました。
なぜ、癒されたいのか? ありのままの自分?
ここでは、なぜ、人は癒されたいのか?について詳しく解説します。
人は成人し、社会生活を営むようになると、さまざまな悩み、苦悩を抱えるようになります。
会社でのノルマや、周りからの期待など、あなたに求める要求が大きくなるにつれ、あなたの苦悩、葛藤も増えていきます。
また、何が起こるか分からない この世の人生では、不幸や、いざこざ、禍(災い)などで突如、家族や友人などの親しい存在と、疎遠になったり、今生の別れを迎えることもあります。
そして、自分では抱えきれないほど、悩みや苦悩が大きくなり、やがて、自分の心理的、精神的な容量を越えてしまいます。
自分の限界を越えたとき、次の感情が湧いてきます。
- 喪失感
例:「心の支えがほしい」 - 欠乏感
例:「なんか最近、自信がないなぁ」 - 虚無感
例:「なんのために頑張っているんだろう?」 - 過負荷
例:「最近、心身ともに無理しているなぁ」 - 空虚感
例:「意欲が沸かないし、心が空っぽな感じがする」
「喪失感」は、今まで存在していた大切なものが無くなるときに感じるものです。
「欠乏感」は、自分自身の足りない部分や欠けている部分が気になるときに感じるものです。
「虚無感」は、何事にも虚しさを感じ、意味や価値を見い出せないときに感じるものです。
「過負荷」は、過度な肉体的、精神的なストレスがかかるときに感じるものです。
「空虚感」は、ボーっとした状態で、心がうつろなときに感じるものです。
これらは、すべて、満たされていない状態、物足りない状態です。
人間関係が上手くいっていない。周りから良い評価が得られていない。忙殺されて心に余裕がない。などです。
この状態になると、「自然体で無理をしないありのままの自分に戻りたい。」と強く思うようになります。
つまり、私たちが「癒されたい」と思うことは、「自分のありのままの存在に戻りたい」と感じる心の動きです。
自分という存在を受け入れてくれる「拠り所」は、心優しき両親や、自分の想像を越えた全知全能の「神」や「仏」、「雄大な自然」など、たくさんの「拠り所」があります。
最後に、
私たちが持っている限界(心理的、精神的な容量)というのは、人それぞれ違うため、「癒し」を求める頻度や量は異なりますが、いずれにせよ、現代社会を生きる私たちにとって、「癒し」は非常に重要なものです。