現代社会への嘆き

現代社会への嘆き 社会への嘆き

拝啓

激動の現代社会に身を投じ、心身とも疲労困憊な日々が、久しく続いていることと存じます。

現代社会は、非常に生きづらい。

知識先行、情報先行、実利先行、超効率先行、個人先行、便利先行、言いだしたら、きりがない。

私も、文明の利器によって、たくさんの恩恵をあずかり、感謝の念を抱いている人です。

生活を見渡せば、現代の三種の神器に留まらず,四種、五種に囲まれ、非常に便利に、快適に日々暮らせるようになっています。

物質的な充実はここ数十年で劇的に向上しており、生活環境は一変している。

この物質的な充実という表現には、高性能なモノ、有り余るほどのモノだけでなく、大量な情報や、即席性に富んだ情報を含み、技術の進歩によるあらゆる分野での自動化、機械化が進んでいることも包括しています。

一方で、インターネットの登場により、処理できないほどの膨大な情報を知ることができるようになったが、ほとんどの人が、自ら主体的に「見る」というよりも、受動的に「見せられている」状態となっている。

そして、膨大な情報や知識のみが増えた現代人は、他人や対象物への興味が先行し、自分自身のことを顧みる機会が少なくなっており、自分が考える自己特性、他人から見た自分の特性、自分と周囲との関係性など、自我や周囲を取り巻く環境について、十分認識しないまま生活している。

そのため、いざ、人生の悩みが顕在化した際には、自分のアイデンティティーの証明、相談先・拠り所の確保を、早急に求め、彷徨うこととなる。

また、人間関係の希薄化が問題となっている現代では、直接的に人と意思疎通を図る機会や、自然と触れ合うという機会が減り、十分な情操感覚を育む時間が少なくなっている。

こうした中、今後、私たち現代人に求められるものは、物質的な充実のみならず、心と精神の充実を図り、大自然の脈動を肌身で感じつつ、そして、希薄した人間関係を再構築するとともに、社会の一員としての立場、役割を認識し、よりよい自己開発に励む必要がある。

以上、現代社会への嘆きをここに示す。

敬具

現代社会への嘆き1

 

 

 

 

他者を知ることは知恵であり、自分自身を知ることは悟りである。

老子(思想家・哲学者。道家・道教の祖)

わがものの 人のもののと言うものの ものは世間のもののものなり。

大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)(日本の政治家、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋を提唱した人物)
タイトルとURLをコピーしました