「侘び寂び(わびさび)」「幽玄」「有心・無心」「もののあはれ」「無常」は、日本人にとって古くからある美意識で、心のゆとり・余裕が持ちにくい現代社会に不可欠な意識です。
今回のテーマについては、次のポイントでまとめました。
簡単に理解できますので、ぜひ、読んでみて、一歩先の美意識を堪能ください。
- 「侘び(わび)」は、脱俗・不足・粗相の美。
- 「寂び(さび)」は、閑寂・枯淡の美。
- 「幽玄」は、奥深くにある本質的な美。
- 「有心」は、奥深くにある本質を感じる心の美。
- 「無心」は、心を超越した、不動の境地の美。
- 「もののあはれ」は、移り変わる無常の美。
- 「無常」は、儚さを受け入れた、その先にある美。
本記事では、美意識のうち、「幽玄」について、幽玄とは何か?その意味を紹介します。
「幽玄」とは?その意味は?
「幽玄」という漢字
「山」は、炎を表し、「幺」は、かすかで小さい糸を表します。
これを合わせると、かすかな炎で、薄暗い様子。というです。
つまり、「幽」は、暗い。かすかに。あの世。を意味しています。
炎という対象物が、「幽霊」という熟語に派生しています。
「幽」と同様、「幺」は、かすかで小さい糸を表します。
かすかで暗い様子。というです。
つまり、「玄」は、暗い。奥深い。優れている。を意味しています。
奥深いという意味から、優れた意味である「玄人」という熟語に派生しています。
上述で示した意味から、「幽玄」は、奥深く趣きあること。物事が奥深くはかりしれないこと。を表します。
もっともっと深い意味がある「幽玄」の美意識については、次の項で説明します。
「幽玄」の美意識
ここからは、過去の偉人たちの「幽玄」というコトバに対する、思想・考えを紹介します。
まずは、和歌・随筆の世界の「幽玄」です。
『藤原俊成』(平安時代の歌人)
「幽玄」は、「古風」を表すものとした。
歌合(※)で、僧侶・歌人である慈円(じえん)が詠んだ句を、「心詞幽玄の風体なり」(心と言葉に、幽玄の風情がある)と称賛した。
冬枯れの 梢にあたる 山風の また吹くたびは 雪のあまぎる
訳:冬枯れの梢に、山風が当たり、さらに吹きつけると、雪が舞い、空がかすみ渡る。
「あまぎる(天霧る)」という言葉は、古風な言い回し。
※ 歌人たちが集まり、優劣を競う文芸会
『鴨長明』(平安時代の随筆家)
無名抄(むみょうしょう)という評論書で、「幽玄」は、「詞(コトバ)に表れぬ余情、姿に見えぬ景気(ケハイ)」であるとした。
つまり、言葉では言い表せない「沈黙の美」であり、ものごとの深奥にあるしみじみとした味わいという意味
『藤原定家』(平安時代の歌人)
定家が詠んだ句の中で、幽玄を込めた歌の形式(幽玄体)として、次のような句がある。
たまゆらの 露も涙もとどまらず 亡き人こふる 宿の秋風
訳:宿の中で、亡くなった人を恋しく思い出しているが、吹きつける秋風によって、ほんのわずかな間も、露も涙も、留まることができない。
これは、亡き母のことを思う定家の心の句であり、詠み手に、余韻を残し、しみじみとした味わいを感じさせる「余情の美」を謳ったもの。
次は、能楽の世界の「幽玄」を紹介します。
『世阿弥』(室町時代の能役者)
「花鏡(かきょう)」という能芸論書の中で、「幽玄の風体第一とせり」と示し、「幽玄」の美意識を重んじた。
また、鬼や幽霊など死の世界を演じる「能楽」において、「幽玄」とは、その世界を「花鳥風月」という自然の世界を通して、奥深くまで感じ取ろうとする美意識である。とした。
そして、最後に、東京大学教授で美学者の竹内敏雄は、「幽玄」を次のように表しています。
「幽玄」は、「今日では、中世的な美学を代表する日本文芸史上の基礎的類型概念を表するものとされている。」
世阿弥は、「幽玄」から「わび」への方向をしめしていた。
以上のように、「幽玄」には、「心にあって言葉には表すことができない、しみじみとした味わい」を意味し、「沈黙の美」「余情の美」という美意識を表します。
さらに、「幽玄」は、「美学の基礎的な概念」というものであり、「奥深く根底にある本質的な美」であると理解できます。
この記事をご覧になったアナタが、一歩先の美意識の世界を少しでも、感じていただけたら、筆者としても幸いです。
今度は、ぜひ、世の中にあふれる「幽玄の美」を肌で感じてみてください。