「侘び寂び(わびさび)」「幽玄」「有心・無心」「もののあはれ」「無常」は、日本人にとって古くからある美意識で、心のゆとり・余裕が持ちにくい現代社会に不可欠な意識です。
今回のテーマについては、次のポイントでまとめました。
- 「侘び(わび)」とは?
- 「寂び(さび)」とは?
- 「幽玄」とは?
- 「有心・無心」とは?
- 「もののあはれ」とは?
- 「無常」とは?
簡単に理解できますので、ぜひ、読んでみて、一歩先の美意識を堪能ください。
- 「侘び(わび)」は、脱俗・不足・粗相の美。
- 「寂び(さび)」は、閑寂・枯淡の美。
- 「幽玄」は、奥深くにある本質的な美。
- 「有心」は、奥深くにある本質を感じる心の美。
- 「無心」は、心を超越した、不動の境地の美。
- 「もののあはれ」は、移り変わる無常の美。
- 「無常」は、儚さを受け入れた、その先にある美。
本記事では、美意識のうち、「有心・無心」について、有心・無心とは何か?その意味を紹介します。
「有心」とは?その意味は?
「有心」という漢字
「有心」は、有る心と書きます。
物事を深く理解する心を持っているという意味であり、一般的に「分別があり、思慮深いこと」と訳されます。
この逆は、「無心」で、「心のいたらないこと。気のきかないこと」を意味します。
しかし、これらの意味は表面的なものであり、それこそ、思慮深く有心を持って、言葉に向き合えば、もっと深い意味を見出すことができます。
「有心」「無心」の美意識
「幽玄」は、平安時代の歌人である藤原俊成が、美的概念として取り上げたものですが、
一方、「有心」は、その子、藤原定家が、「幽玄」以上に重要視した美意識であり、美的概念を深化・発展させたと言われています。
では、「有心」という美意識について、和歌の世界の事例を紹介します。
『藤原定家』(平安時代の歌人)
すべての歌のカタチには、「心」が存在しなくてはならず、それゆえに,最も重要である歌のカタチを「有心体」と名付けた。
そして、心と詞(コトバ)を兼ね備えた歌が良いとしながらも、詞(コトバ)に振り回されない心を重視し、言葉よりも心の優位性を説いた。
また、歌の本質は、「をかし」ではなく「奥深い」とした。
そして、大阪大学教授である国文学者の小島吉男は、「有心」を次のように表しています。
「有心」というのは、風雅心を歌の構想や、言葉のつづけ柄の上に、深く込めらせた歌の風姿をいうのである。
「艶」を官能的な美であるとすると、「有心」は情緒的な美である。
以上をまとめると
「有心」という美意識は、「ものごとに、奥深く上品な味わいを込める心のあり方」を表し、「姿・カタチ」を意味する「体」をつけた「有心体」は、「心のこもった歌の姿・カタチ」を表します。
また、有心は、和歌から生まれた言葉であるため、歌学において意識される美的概念と言われています。
別項(「幽玄とは?」)で解説した「幽玄」と、今回の「有心」には、共通する部分があり、その美意識を言葉で表すと、似たような意味になっています。
ただ、「幽玄」は「本質的な美」であり、「有心」は「心のあり方」であると考えられます。
最後に、「無心」について解説します。
室町時代の能役者である世阿弥は、「有心」を越えた境地に「無心」があると説いています。
『世阿弥』(室町時代の能役者)
「無心の位にて、我心 をわれにも隠す安心にて、せぬ隙の 前後をつなぐべし」
訳:無心の境地に達し、自分の心を自分にすら隠し、意識しないまま(心が休んでいるまま)、能芸に徹するべき。
これは、心が浄化され邪念がなくなる境地に達し、心すら無くなる「無心」でなければならないことを表している。
「無心」は、「気のきかないこと」という表面的な意味ではなく、「心を超越した、不動の境地」を表す言葉でもあります。
この記事をご覧になったアナタが、一歩先の美意識の世界を少しでも、感じていただけたら、筆者としても幸いです。
今度は、ぜひ、世の中にあふれる「有心の美」を肌で感じてみてください。