人の気持ち、感情を理解することは、大変難しい。
生活を共にする夫婦でさえ、十分に理解することは容易でない。
だが、理解できないからと諦めてはならない。
理解できるよう探究しつづけなければならない。夫婦関係であれば、これは義務だ。
本稿では、『愛妻家(私)の思考』として、妻の「悲しみ」について考えたいと思う。
なお、淋しいについては、別記事「【愛妻家の思考】淋しいとは?妻が淋しさを感じていたら?」で考えてみた。
妻の輝かしい人生には、並々ならぬ悲しみがあった。
トーマス・カーライル(19世紀イギリスの歴史家)
だが、妻はまれに見る愛らしさ、物事を見通す力、気高い貞淑な心を持っていた。
そして、私の行動や企てを、行動であるいは言葉で、少しも倦み疲れることなく前進させてくれた。
悲しむ(悲しみ)とは? ~愛妻家の思考~
愛妻家として妻の悲しみを早急に取り除かなければならないが、まずは感情そのものについて考えたいと思う。
悲しみとは何か。それは
・何か重大な喪失があったときに表れる感情で、心の痛みを伴うもの
大切にしていた物がなくなったり、信じていた人から裏切られた時に感じる辛い気持ちである。
そして、悲しんでいる状態には、内なる秘められた気持ちが溢れ、涙に変わり外へ放出される泣く(あるいは怒る)という身体反応までを示していると考えられる。
まず、悲しみの原因を究明する前にしなければならないことは、その悲しみをもたらす気持ち・感情の解放である。
悲しみに打ちひしがれた状態では、心身ともに不健康になってします。ストレスを感じてしまうので、早く解放させないといけない。
我慢、忍耐によって抑圧され、心に溜まった感情をカタルシスのように解放させ、緊張をほぐさないといけない。
悲しみが小さければ、時間の経過とともに色が段々と薄まり平常心の領域に入るが、そうでなければ、自己解消、自己解決ができず、外に出すしかない。
愛妻家(夫)がすべきこと ~妻の悲しみ~
では、愛妻家の夫の私ができることは何なのか。
私が出来うる悲しみの解放手段について考えてみる。
まず、今、膨れ上がった感情・溢れ出そうな感情をどのように、解放してあげれば良いのだろうか。
膨らんだ風船に、刺々しい針を突き刺し、一瞬で割った方が良いのか、水が溢れそうなコップに、大きな振動を与え、一気にコップを壊せば良いのか。
いや、私はそんな荒手なことはしたくない。風船やコップを壊しては元も子もない。
妻が今まで、コントロールしていた感情を一気に爆発させてしまうと、本人でも制御できなくなるだろう。
優しく、ゆっくり、そして丁寧に、解放しなければならない。
私は、そっと愛すべき妻に近づき、
悲しみの空間を共有し、こころを共感させ、自分事とする。
自然と、同じ悲しみの表情を浮かべた私は、
「どうしたの?大丈夫?」と声をかける。
ここで注意するのは、言葉は選ばなければいけない! ことだ。
「何かあった?」よりも「どうしたの?」の方が、感情や気持ちはそっちのけで、妻を飛び越え、人ではなく物(出来事)に視点をあてた言葉だと思う。
私含め「夫」という者は、とかく、出来事の原因究明を急ぎ、論理的に解決しようとする動物である。
焦らず、思いやりを持って、接したいと思う。
妻に寄り添えば、おそらく、泣く、怒るなど、行動を表に出し、気持ちと感情の解放をさせてくれるだろう。
打ち明けるまでの時間は、人によって違う。辛抱して、その時が来るまで待つしかない。
決して、すぐに反応がなくても、無視したと思ってはいけない。
良くも悪しくも、「夫婦には、沈黙の時間は必要」だと思う。
沈黙は、夫婦独自のテレパシーを養い、お互いの思いやりを育てる良い機会だ。
そして、感情や気持ちが解放したら、すべてを真正面で受け入れよう。
これが夫である私の 最大の役目 だ。
妻が悲しみの正体を話始めたら、妻の声をしかと傾聴する。
「話を聴いてくれるだけで安心する」「悩みは聴いてくれるだけで解決する」と言われるように、聴くことで、悲しい気持ちは和らいでいく。
悲しみの正体がわかったからといって、すぐさま建設的な方向に会話を誘導してはいけない。
「ポジティブに考えたら?」「次につなげよう」などと言ってはいけない。
ましては、「こうした方が良かった」「そのやり方は駄目だ」などの否定的な言葉は、絶対に駄目だ。
愛すべき妻の悲しんでいる様子を見ていると、早く問題解決させて上げたいという気持ちが湧いてくるが、物事に順序があるように、気持ちにも順序がある。
気持ちの順序を例えるなら、自動車のようなものである。
「悲しみ」などのネガティブ状態が、後退(バック)であるなら、「前向き」などのポジティブ状態が、前進(ドライブ)である。
後退している自動車を、前進させるためには、必ず、一度停止しなければならない。その後、ギアを変え、前進することになる。
妻の感情を平常心に戻すことに専念しよう。悲しみを共有し、気持ちに共感する。
何か言葉を発するとすれば、「そんなことがあったんだ」「それで悲しんでいるんだ」などの 共感する言葉 と、「大丈夫だ」「いつも一緒だ」「そばにいる」などの 安心する言葉 をかけてあげよう。
妻が平常心になった後に、建設的な会話をするかどうかは、その時の感情の揺れ動きにより判断するのが賢明だ。
そもそも、聴いて上げるだけで良いケースもあるため、その後の対応は慎重に考えなければならない。
今日は、感情の起伏で心身とも疲れているだろうから、一晩寝て、数日後にでも、それとなく、未来に向けた会話をしてみることにしよう。
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愛妻家(愛saika)