この世の中には、「人間とは〇〇である」という定説が数多くあります。
荀子の性悪説と、孟子の性善説では、利益社会としての人間と、協同社会としての人間の違う立場で本性を語っています。
これらの利己的な人間つまり「人間とは動物的な生き物である」と、協調的な人間つまり「人間とは社会的な生き物である」を軸にして、人間の本性を解明していきます。
その他、善悪の意味、性善説と性悪説、善く生きるについても、それぞれ別稿で考えていますので、気になる方はご覧ください。
「【その行動は善?悪?】善悪とは?その意味」
「【我々人間の本性】性善説・性悪説とは?その意味」
「【人生最大のテーマ】善く生きるとは?善い行いとは?その意味」
人間とは動物的な生き物である ~人間の本性~
まずは、人間の本能とも言える動物的要素から考えていきます。
中国の春秋戦国時代の思想家、韓非は、荀子に学び、著書「韓非子」の中で、次のようなことを語っています。
答えはただ一つ。それは「人間は利己的である」という永遠の真理である。
出典:「韓非子(悪とは何か)」(中国哲学者 加地伸行)
人間は利己的であり、その利己を基にしてあらゆる行動を行っている、と「韓非子」は説き続けてやまない。
つまり、人間は動物同様、自己のために行動するという生物の原則に従って生きています。
これは、紛れのない普遍的な真実であり、生あるものが必ず死を迎えるのと同じです。
人間は利己的に行動するがゆえに、他人と争い合い、互いに譲り合おうとしません。
そして次に、ドイツの心理学者エーリッヒ・フロムの人間に対する考えを紹介します。
人間は羊だと信じている人は多い。一方、人間は狼だと信じる人もいる。(略)
出典:「悪について(渡会圭子訳)」(社会心理学者 エーリッヒ・フロム)
人間が羊であるというなら、人間の生活が羊の生活とこれほどまでに違うのはなぜなのだろうか。(略)
あなたや私を含め、平均的な人間は羊の皮をかぶった狼であり、いまこの瞬間、野獣のようにふるまうのを阻止している抑止力が取り払われてしまえば、本性があらわになる。(略)
生物学的な共存という見地からすると、人は他の誰よりも自分のほうがはるかに重要だと思う必要がある。
フロムは、人間の化けの皮を剥がすと、狼と同様、野獣のようになり私利私欲に尽くしてしまうと言っています。
皆さんは、狼に育てられた数多くの少年少女の話を聞いたことがあるでしょうか?
これらの話は、全ての内容が実話ではないかもしれないが、幼少期に狼と共に暮らし、共存していたことは事実です。
少年少女が発見された当初は、四足歩行で昼間は眠くなり夜に活動し、生肉を常食していたと言われている。また、言葉は全く発せず、唸り声を上げ遠吠えしていたそうだ。
これはつまり、人間は、人間(ヒト科ヒト属)として生まれても、そのまま放置すればあるべき人間の姿になれない。狼の中で成長すれば、狼の習性そのままを受け継いでしまう。ということがわかります。
最後に、有名な哲学者トマス・ホッブズの言葉を紹介します。
万人の万人に対する闘争
出典:「リヴァイアサン」(イングランド哲学者 トマス・ホップズ)
(人は同胞に対して狼であり、自然状態では人間は利己的で、動物のように自分の利益のために争う)
人間とは社会的な生き物である ~人間の本性~
人間には、動物的な一面があれど、自分独りで生きてゆくことは不可能です。
現代社会で生きていくには、協力・協同・協調の要素が必要不可欠となってきます。
荀子の著書「荀子」の中には、次のことが語られています。
荀子は人間を社会的な動物だという。
出典:「世界の名著・諸子百家-荀子-」(金谷治・町田三郎・沢田多喜男・小野四平 訳)
社会を、秩序をもって円満に維持してゆくことができるのは人間だけである。
そして、人々が和合して力をあわせてゆくところにこそ、人間の無限の可能性が生まれるのである。
著書「荀子」では、人間は生物として最も重要な利己心が備わっているが、人間社会で生活するためには、共同体の規律や秩序を厳守し、相手の立場を考えなければならないとし、さらに、それができるのは人間だけだと伝えています。
次に、ドイツの心理学者エーリッヒ・フロムの考えを紹介します。
個人が生き残るには、集団に入らなければならない(略)自分だけで自然の危険から身を守ることができる人はまずいないし、集団でしかできないことも数多くある。(略)
旧約聖書に「汝自身のように汝の隣人を愛せ」という言葉がある。これは少なくとも隣人を自分と同じように大切に思えるくらいまでナルシシズムを克服せよということである。
※ナルシシズム=自己愛
出典:「悪について(渡会圭子訳)」(社会心理学者 エーリッヒ・フロム)
フロムは、人間は独りで生き抜くことができず、集団で行動しなければならないとしています。
このため、自分自身のことを最優先する「ナルシシズム(自己愛)」を上手くコントロールし、社会的に協調しなければならないと説いています。
そして、歴史学者の板野長八は、人間は悪なる存在であるとしながらも、悪を抑え、社会的に生きていかなければならないとしています。
人間は悪なる存在である。しかし、孤独で生きては行けない。
出典:「中国古代における人間観の展開」(東洋史研究者 板野長八)
社会生活をしなければ生存も不可能になる。
他人の中にまじり、その社会に秩序をもたらし、平和の中で生きるためには、お互いに我欲、エゴイズム、怨恨、嫉妬などの根源的に持っている悪なるものを抑えなければならない。
最後に、現代人で「経営の神様」と言われた稲盛和夫を紹介します。
稲盛和夫の哲学は、「利己」を超え「利他」を徹底することでした。私利私欲に走らず、利他の心で物事を判断する。
要するに、人間として正しくあるべき行動を経営でも考えなさいということです。
利他の心は、集団生活をする人間社会では不可欠なことであり、この心を行動に表さなければなりません。
人間とは悪魔的な生き物である ~人間の本性~
上述で、人間の利己的・動物的な面を紹介しましたが、人間はこんな生ぬるいものではありません。
下記をご覧になれば、「人間=悪魔」なのではないかと思うことでしょう。
人間は利己的に行動するがゆえに、他人と争い合い、国同士の戦争に発展します。
そして、行くところまで行ってしまうと、人類は”1人”として地球に住むことができなくなります。
人間とは殺意を持つ唯一の動物である。
引用:生理学者 時実利彦
ある種の齧歯類を例外とすれば、自分自身の種属のメンバーを殺す習性をもった脊椎動物は他にはいない。同じ種属の仲間に残虐行為をして、積極的な喜びを感ずる動物は人間だけである。
出典:「人間の攻撃心」(イギリス心理学者アンソニー・ストー)
からだの一部分が武器にまで発達したライオンとかオオカミとかトラなどの猛獣は同種間の殺生をしない。(略)殺すことを制御する本能がはたらくからである。(略)
引用:ノーベル医学心理学賞動物学者 コンラート・ローレンツ
からだの外に武器を発明し、これを無限大に発達させながら、これを制御する本能機関がまったく欠如している動物がいる。それは人間である。
その他(人間とは〇〇である)
そして最後に、人間の正体について動物的、社会的、悪魔的以外の面を紹介したいと思います。
人間は、考える葦である。
引用:フランス哲学者 ブレーズ・パスカル
葦のように弱いが、頭を使って考えることができる。
人間は、政治的な動物である。
引用:古代ギリシャ哲学者 アリストテレス
人間は、約束できる動物である。
引用:ドイツ思想家 フリードリヒ・ニーチェ
人間は、先見の明と想像力によって生産を行う。
引用:ドイツ哲学者 カール・マルクス
人間は教育によって、はじめて人間になることができる。
引用:ドイツ哲学者 イマヌエル・カント
人間が訓育の生物であり、また文化を創造するということが人間をすべての動物から区別する所以であり、それが同時に人間の定義である。
※訓育=教え育てること
引用:ドイツ哲学者 アルノルト・ゲーレン
人間は生まれながらに罪を負っている。
引用:イエス・キリスト
しかし、神を信ずれば罪が許され救われる。
人間は煩悩具足な悪人であり、どんなに修行しようとも、永遠に苦しみから逃れられない生物である。
しかし、「他力本願」の教えを信じ、「南無阿弥陀仏」を念仏すれば往生できる。※煩悩具足=生まれながら煩悩を持っている
出典:「歎異抄(悪人正機説)」(浄土真宗 親鸞)
以上、人間の本性について考えていきましたが、人間には理性、知性、本能が備わっているため、さまざまな性質が複雑に絡みあっており、一義的に「人間とは〇〇である」と定義することが困難でした。
ただ言えることは、
人間は、何を持って生まれたかではなく、生まれてから何を獲得するかが最重要であり、それによってその人間の運命が決まるということです。
善き人生を歩むためには、何をしなければならないのでしょうか?
これについては、別稿の「【人生最大のテーマ】善く生きるとは?善い行いとは?その意味」で考えていきます。
その他、善悪の意味、性善説と性悪説についても、それぞれ別稿で考えていますので、気になる方はご覧ください。
「【その行動は善?悪?】善悪とは?その意味」
「【我々人間の本性】性善説・性悪説とは?その意味」
参考文献:
「悪について(渡会圭子訳)」(社会心理学者 エーリッヒ・フロム)
「韓非子(悪とは何か)」(中国哲学者 加地伸行)
「性悪説のすすめ」(評論家 桶谷繁雄)