皆さんも、一度ぐらいは「善」と「悪」について考えたことがあると思います。
本稿では「善」「悪」の正体は何か?その意味について、さまざまな文献を通して解明していきます。
その他、性善説と性悪説、人間とは〇〇である、善く生きるについても、それぞれ別稿で考えていますので、気になる方はご覧ください。
「【我々人間の本性】性善説・性悪説とは?その意味」
「【我々人間の本性】人間は、動物的か?社会的か?それとも・・・」
「【人生最大のテーマ】善く生きるとは?善い行いとは?その意味」
善・悪とはどんなもの? ~善悪の意味~
「善」「悪」は、抽象的なものでありながら、人間社会において意義あるものでもあります。
そして、私たちが、「善」「悪」は無くてはならない概念だと理解できていても、その正体はナゾで、言葉では上手く表すことができません。
善(よい)、(わるい)とは、一体何なのでしょうか。
善悪の基準は、どう判断されるべきなのでしょうか。
例えば、「犯罪は悪である」という定義です。
たしかに、今を生きる私たちからすれば、現行法による犯罪は「悪」であり、正しい定義となります。
しかし、場所や時代が違えば常識が変わるように、法律も異なります。
昔処罰されていた「犯罪」が今日では処罰されないこともあります。
英雄として称賛されている、キング牧師(マーティン・ルーサー・キング・ジュニア)、マハトマ・ガンディーは、人種差別に対する公民権運動、非暴力運動によって、何度も逮捕・投獄されています。
当時は犯罪者ですが、今は英雄です。
このように、善悪の正体を解明することは難しく、善悪について簡潔明瞭に言い表すことは容易ではありません。
歴史的賢人たちの言葉 ~善悪の意味~
「善悪とは何か?」この問題について、現在まで様々な歴史的賢人が言語化を試みています。
次のとおり紹介します。
『荀子』の善悪
善とは、正理(正しい道理)・平治(平らかな治世)のこと。
引用:荀子(春秋戦国時代の思想家、儒学者)
→ 道理にかなった平和なこと。
悪とは、偏険(正道から偏って衝突すること)・悖乱(正道から外れて争乱すること)のこと。
→ 偏った道理による乱暴なこと。
『和辻哲郎』の善悪
人々の信頼にこたえ、真実を起こらしむることを善、信頼を裏切り、虚偽を現わしむることを悪とする
引用:和辻哲郎(東京帝国大学教授、哲学者、倫理学者)
『ラルッス辞典(フランス)』の善悪
善とは、そうあらねばならないもの、悪とは、そうあってはならないもの。
出典:ラルッス辞典(フランス)
『エーリッヒ・フロム』の善悪
引用:エーリッヒ・フロム(ドイツの社会心理学者、哲学者)
悪の程度は、同時に退行の程度でもある。最大の悪は、生と反対に向かおうとすることである。
悪は人間に独特な現象である。それは人間以前の状態に退行し、特に人間的なもの理性、愛、自由を抹消しようとすることだ。
出典:悪について(渡会圭子 訳)
『マイケル・イグナティエフ』の善悪
私たちが何を選択しようとも、それによって大切な何かが犠牲にされることを私たちは知っている。私たちが何を選択しようとも、誰かが傷つけられるだろう。(略)
私たちは今まさに決断しなければならず、その決断には支払うべき代償があることを確信している。私たちは自身が支払わなければ、誰かが支払うことになるのだ。
引用:マイケル・イグナティエフ(カナダの政治学者、歴史学者)
出典:許される悪はあるのか?-テロの時代の政治と倫理(添谷育志、金田耕一 訳)
『西田幾多郎』の善悪
世の中に絶対的の悪というものはない。
引用:西田幾多郎(京都大学名誉教授、哲学者)
悪はいつも抽象的に物の一面を見て全貌を知らず、一方に偏して全体の統一に反する所に現われるのである。
出典:善の研究
『仏教』の十善戒と十悪
- 殺生(せっしょう)生きものの生命を奪う
- 偸盗(ちゅうとう)他人の財物を取る=盗み
- 邪淫(じゃいん) よこしまな男女の交わり
- 妄語(もうご) 嘘をつく。でたらめを言う
- 綺語(きご) うわべを飾った不誠実な言葉
- 悪口(あっく) 他人を傷つける言葉。陰口、中傷
- 両舌(りょうぜつ)他人の仲を裂く言葉
- 慳貪(けんどん) 財物などをむさぼり求める。異常な欲
- 瞋恚(しんい) 怒り憎む
- 邪見(じゃけん) 誤った見解
善とは内省、悪とは偏見 ~善悪の意味~
以上のように、善悪の定義には一義的なものはなく、各人によってさまざまな考え方があることがわかります。
ただ、賢人の言葉の要所をまとめると、次の2点に整理できます。
- 善と悪は、正しい道理(道徳)と偏った道理(道徳)、平和と争い、調和と偏り、真実と虚偽、生と死に分けられる。
- 善の存在には、悪が密接に関係しており、絶対的な善は存在しない。
もう少し踏み込んで善悪の正体を言語化すると、
「悪」とは、今の正義を絶対的なものとみなし、その偏った道理(道徳)によって判断・行動すること。さらに、そのことを改めようとしない、改めようとも思わない状態のことです。
一方、「善」とは、常に自身の判断・行動を内省し、試行錯誤し続ける状態のことです。
性善説と性悪説、人間とは〇〇である、善く生きるについても、それぞれ別稿で考えていますので、気になる方はご覧ください。
「【我々人間の本性】性善説・性悪説とは?その意味」
「【我々人間の本性】人間は、動物的か?社会的か?それとも・・・」
「【人生最大のテーマ】善く生きるとは?善い行いとは?その意味」
参考文献:
「悪について(渡会圭子訳)」(社会心理学者 エーリッヒ・フロム)
「許される悪はあるのか?(添谷育志、金田耕一訳)」(政治学者 マイケル・イグナティエフ)
「善の研究」(哲学者 西田幾多郎)