無常の意味【一歩先の美意識】(諸行無常とは?)

無常の意味【一歩先の美意識】(諸行無常とは?) 美意識

 

「侘び寂び(わびさび)」「幽玄」「有心・無心」「もののあはれ」「無常」は、日本人にとって古くからある美意識で、心のゆとり・余裕が持ちにくい現代社会に不可欠な意識です。

今回のテーマについては、次のポイントでまとめました。

  1. 「侘び(わび)」とは?
  2. 「寂び(さび)」とは?
  3. 「幽玄」とは?
  4. 「有心・無心」とは?
  5. 「もののあはれ」とは?
  6. 「無常」とは?

簡単に理解できますので、ぜひ、読んでみて、一歩先の美意識を堪能ください。

  • 「侘び(わび)」は、脱俗・不足・粗相の美。
  • 「寂び(さび)」は、閑寂・枯淡の美。
  • 「幽玄」は、奥深くにある本質的な美。
  • 「有心」は、奥深くにある本質を感じる心の美。
  • 「無心」は、心を超越した、不動の境地の美。
  • 「もののあはれ」は、移り変わる無常の美。
  • 「無常」は、儚さを受け入れた、その先にある美。

 

 本記事では、美意識のうち、「無常」について、無常(諸行無常)とは何か?その意味を紹介します。

 

「無常」(諸行無常)とは?その意味は?

無常の意味【一歩先の美意識】(諸行無常とは?)写真

「無常」の語源

「無常」という言葉は、仏教用語の「諸行無常」が元となっています。

仏教発祥の地、インドには、祇園精舎という寺があり、そこの無常堂(院)に四つの鐘が下げられており、修行僧が亡くなったとき、その鐘を鳴らし、「諸行無常」の詩句を響かせ、極楽浄土に導いたと言われています。

「諸行」は、もろもろの移り行くもの。すべての事物。万物。という意味があり、「諸行無常」は、一切のものは、永遠ではなく、移り変わる。ということを表しています。

 

「無常」という意識

「無常」の意識については、日本人なら一度は、じっくりと考えておきたいものです。

日本人の無常観は、他の国と比べ、独特なものであり、日本人特有の、花鳥風月を愛で、人生のはかなさを感じる情緒的な自然観、死生観と合わさり、非常に意味深いものとなっています。

 

ここでは、過去の日本の文献や、偉人たちが捉えた「無常」について紹介します。 

まずは、最も有名な「いろは歌」です。

いろは歌(平安時代 西暦1079年)

無常の意味(諸行無常とは?)いろは歌

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

訳:色鮮やかに香る花も、いずれは散ってしまう この世の誰もが、永遠に生きることはできない 越えることが難しい無常という山を越えると 儚い夢を見ることなく、この世に酔いしれることもない。

これは、無常なるこの世を知り、無常なるものを受け止め、物事に動じず堅実に生きよう。という意味が込められたもの。

 

次は、鎌倉時代の「平家物語」を紹介します。

平家物語(鎌倉時代 時期不明)

無常の意味(諸行無常とは?)平清盛

平家物語は、平家の栄華と没落を描いた物語であり、世の中の無常さ、はかなさを謳ったもの

祗園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす
おごれる人も久しからず 唯春の夜の夢のごとし

訳:祇園寺の鐘の音には、諸行無常という響きがある 沙羅双樹の花の色は、勢い盛んな者も必ず衰えるという道理をあらわしている 驕れる者の天下も、長続きはしない それはまるで、春の夜の夢のようである。

 

続いては、随筆・小説の世界の「無常」について紹介します。

『鴨長明』(平安時代の随筆家)

無常の意味(諸行無常とは?)鴨長明

鴨長明の、人生のはかなさを描いた「方丈記」に、次の言葉がある。

「ゆく川の流れは絶えずして しかももとの水にあらず よどみに浮ぶうたかたは かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし 世の中にある人とすみかと またかくの如し」

訳:川の流れは絶えることがなく、今、流れている水は、前と同じ水ではない。川のよどみに浮かぶ水の泡は、一方では消え、また一方では生まれ、そのまま長くとどまる例はない。世の中に生きている人とその住まいもまた、この川の流れや水の泡のようなものである。

『兼好法師』(鎌倉時代の随筆家)

無常の意味(諸行無常とは?)吉田兼好

吉田兼好が、無常観、死生観を描いた「徒然草」に、次の句がある。

「命は人を待つものかは 無常の来ることは 水火の攻むるよりも速かに 逃れがたきものを その時老いたる親 いときなき子 君の恩 人の情 捨てがたしとて捨てざらんや」

訳:寿命というものは人の都合を待ってくれるだろうか。いや、待ってはくれない。無常の死は、洪水や火災が襲いかかるよりも早く、避けることが難しい。そんな切羽詰まった無常な人生において、年老いた親、幼い子、主君の恩、人の情けを無視することができないからといって、無視しないだろうか。いや、無視せざるをえない。(他人の世話よりも自分の世話を優先せざるをえない)

「人 死を憎まば 生を愛すべし 」

訳:人は、死を恐れて憎むよりも、生を愛するべきだ

これらの句は、人生は無常で、生死の前では人は無力であるが、それでも、生きることに目を向け、楽しんで生きようと伝えている。

『志賀直哉』(明治時代の小説家)

無常の意味(諸行無常とは?)志賀直哉

志賀直哉の「ナイルの水の一滴」に、次の一節がある。

「人間が出来て、何千何万になるか知らないが、その間に数えきれない人間が生れ、生き、死んで行った。私もその一人として生れ、今生きているのだが、例えて云えば悠々流れるナイルの水の一滴のようなもので、その一滴は後にも前にもこの私だけで、何万年溯っても私はいず、何万年経っても再び生れては来ないのだ。しかも尚その私は依然として大河の一滴の水の一滴に過ぎないそれで差支えないのだ。」

これは、人生のはかなさ、むなしさをしっかりと受け止め、それでも、力強く生きようと伝えている。

 

そして、最後に、明治大学教授である唐木順三は、「無常」を次のように表しています。

「無常なるものの無常性を徹底させるよりほかはない」

 

以上のように、「無常」は、「はかない人生」という解釈にとどまらず、その無常さを受け入れ、力強く、堅実に、そして楽しんで生きようという意味が込められています。

 

この記事をご覧になったアナタが、一歩先の美意識の世界を少しでも、感じていただけたら、筆者としても幸いです。

今度は、ぜひ、世の中にあふれる「無常の美」を肌で感じてみてください。

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