人生において、さびしさを感じることはよくあることだ。
その「さびしさ」の正体は、いったい何なのか。
愛する妻がさびしいと感じている時、何ができるのだろうか。
本稿では、『愛妻家(私)の思考』として、妻の「淋しい・孤独」について考えたいと思う。
なお、嫉妬・劣等感については、別記事「【愛妻家の思考】嫉妬とは?妻が嫉妬していたら?」で考えてみた。
夫が妻に対して示す力は、父親のような、友人のような力であるべきだ。
ジェレミー・テーラー(イギリス 神学者)
権威をかさに着た、暴君じみた力であってはならない。
淋しい(寂しい)とは? ~愛妻家の思考~
愛妻家として妻の淋しさを早急に解消しなければならないが、まずは感情そのものについて考えたいと思う。
「さびしい」という言葉には「寂しい」と「淋しい」があるが違いは何だろうか。
漢和辞典では、次のように解説されている。
【寂】
「例解新漢和辞典」三省堂
さび・さび(しい)・さび(れる)・セキ・ジャク
音がなくひっそりしている。しずか。さびしい。さびれる。
【淋】
「例解新漢和辞典」三省堂
さび(しい)・リン
水が絶えずしたたる。水が注ぐ。
人けがなくひっそりしている。孤独である。とぼしい。不足。
前者の「寂しい」は、静寂、閑寂と表現されるように、わび・さびの「さび」のニュアンスに似ており、静かでひっそりしている様子を表している。
一方、「淋しい」は、「さんずい」が付き、涙が表現されており孤独で悲しい様子を表している。
今回は「さびしい」=「淋しい」=「孤独」で考えたいと思う。
そして、「孤独」の意味についてであるが、
孤独を感じるという状態は、先ほどまで身近にあったものが突如無くなってしまった状態と言える。
つまり、孤独とは、あるものが突然なくなり、心細く満たされない気持ちや何かが欠けて頼りない気持ちのことを意味している。
さびしさ(孤独)を感じる人の割合 ~愛妻家の思考~
まずは、日頃どれぐらいの人が、さびしさ(孤独)を感じているのか調べてみる。
株式会社フージャースホールディングスが実施する「孤独に関するアンケート」によれば、
- 孤独を感じる人(「常に感じる」「時々感じる」)
全体の48.8% - 孤独を感じない人(「あまり感じない」「まったく感じない」)
全体の44.3% - 高齢になるにつれて孤独感は増すと思うと回答した人(「とても思う」「思う」)
全体の69.2%
日本人のうち、孤独を感じる人は感じない人よりも割合が多く、また年をとるにつれ孤独感が増すという結果であった。
この調査結果には、一つ補足が必要だと感じる。それは、
日本人の半数は孤独を感じているということだが、
この「半数」という割合は、常に一定であるものの、その中身は常に変化しており、個人間で孤独感の有無が入れ替わっていると考えられる。
孤独を感じないと回答した人は、その時たまたま感じていなかっただけであり、人生において孤独を感じる瞬間は必ずある。
例えば、最近孤独を感じていない人は、1ヶ月前までは孤独を感じていたかもしれないし、また別の人は、これまで孤独を感じていなかったが、最近になって孤独を感じ始めたかもしれない。
つまり、「孤独」という状態は、時間とともに、交替するということだ。
愛妻家(夫)がすべきこと ~淋しさを感じる妻~
妻は、最近、孤独を感じているのだろうか。
愛妻家の私としては感じさせていないと思っているが、、、果たして
万が一、妻が孤独でさびしいと感じている状態であれば、今まであったものが突然なくなり心細くなっているということだ。
今まで近くにいた家族や友人のような特別な存在と離れ離れになって孤独を感じているのか。
もしくは、カタチあるものではなく、今まで感じられていた特定の人の優しさや安心感がなくなったため、孤独を感じているのか、どちらかだろう。
人との別れ(離別)
まず初めに、人との別れ(離別)について考えたいと思う。
人生において、離別は避けられない出来事である。
小さいもので言えば、久しぶりに親や友人と会って、楽しいひとときを過ごした後の別れである。
これは、年間何回も経験することだろう。
大きいものであれば、転居(引っ越し)、転勤、転職など、ライフステージの変化やキャリアアップに伴う別れである。
これは、経験する回数が限られてくるだろう。
私の記憶に残る限り最も印象的であった別れは、新婚生活を始めようと、妻が親元を離れた時分である。
私自身は、親元を離れて十年近く経ち独り暮らしが長かったが、妻はというと結婚するまで実家暮らしで、結婚を機に親元を離れることとなったのだ。
あのときは、ひどく孤独を感じた瞬間だったと思う。
妻の実家は関西で、新居は岡山にあったため、距離的な孤独もあっただろう。
実家から岡山に移動中の車内には、未来に向かい希望を抱く「私の高揚感」と、この世に生まれて今まで育った環境を離れる「妻の孤独感」が、入り混じり何とも言えない雰囲気であった。
孤独を感じる妻に、私は気が利く言葉をかけることが出来なかった。
妻に希望を持ってもらうことは重要だが、今まさに急な孤独に打ちひしがれている状態の妻に、無理やり希望を押し込むのは適当ではない。
時間をかけ、親元を離れた現実を受け入れてもらうしかないと思った。
そして私は、程よく時間が経過した後に、一言「これから一緒に力を合わせて頑張ろう」と告げただけだ。
この実体験を踏まえ、今後もし妻が孤独を感じることがあれば、まずは、そばに寄り添い温かく見守り、そして夫婦一緒に前を向き歩んでいこうと伝えたい。
たとえ、人と離れ離れになり物理的な距離が遠くなっても、そのかけがえのない存在は、この世にたしかに存在し、自分の行動一つで声を聴くことも再会することもできる。
私たちは、いつも携帯電話という素敵な道具を手に持ち、いつでもどこでも心の瞬間移動が可能なのだ。
孤独は、心の感じ方次第だと思う。
孤独は、愛を研ぎ澄まし、純粋に洗礼し、質を高めるものだ。
そして、再会は、愛を大きくし、量を高めるものだ。
人の優しさや安心がなくなった時
では、次について考えたいと思う。
信頼していた人に対して感じていた優しさや安心が、突如なくなった時の孤独である。
要は、夫である私の言動が原因となって、心細くなり孤独を感じるということだ。
妻が孤独を感じるような突き放す言動や、乱暴な言動をとったことはないと思うのだが、、、
一度、自分を省みたい。
夫婦であってもお互い人間である以上、どうしても意思疎通が上手くいかない時はある。
人生を生きてゆけば、大小さまざまな課題や問題に直面する。
妻に関わる課題が発生した場合、私が常に心がけていることは、「現在」生きている妻と「将来」生きる妻を考えることだ。
「現在」だけを考えた時のとるべき行動と、「将来」を含め考えた時の行動が異なることがある。
もしかしたら、現在の妻から見れば、なぜ、夫はその考えに至ったのかと疑問に思うことがあるかもしれない。
これが原因で、心細く感じさせる可能性もある。
より正しい答え、より正しい行動を導き出すことは、もちろん大切なことだ。
しかし、愛すべき妻が孤独を感じることがあってはならない。
一人黙々と眉間にシワを寄せ、ロダンの「考える人」のように黙考に励むのも良いが、
「課題解決のために、妻と協力して一緒に考えているんだ」という気持ちを、わかりやすく表現し、孤独を感じさせない行動も必要だろう。
私は、今まで問題・課題に対する「安全策」は考えていたが、「安心策」は考えていなかったのだと思う。
「安全策」は、今後どのように行動すべきかを導き出す非常に重要な行動的・思考的対策であるが、同じく「安心策」も、無くてはならないもので、心や気持ちを捉えた対策である。
最後に
今後は、あらゆる場面において「共に」「一緒に」を意識しながら、夫婦生活を歩みたい。
今の気持ちを忘れないためにココに綴る
愛妻家(愛saika)
参考文献:
「感情」の解剖図鑑(認知科学者 苫米地英人)
感情の哲学入門講義(哲学博士 源河亨)
孤独に関するアンケート(株式会社フージャースホールディングス)